2012年2月24日,都内?六本木にあるニコファーレにて,第15回「文化庁メディア芸術祭」と「ニコニコ動画」のコラボレーションによるトークイベントが開催された。 このイベントでは,第15回「文化庁メディア芸術祭」でエンターテインメント部門の審査委員を務めたゲームデザイナーの斎藤由多加氏と,ドワンゴの代表取締役会長 川上量生氏がトークを展開。ニコニコ動画誕生の経緯をはじめ,川上氏のコンテンツに対する思想などに,斎藤氏がズバズバと切り込んだ。 また「The Tower(ザ?タワー)」や「シーマン」など,作家性溢れる斬新なタイトルを手がけてきた斎藤氏自身も,コンテンツ?エンターテイメント業界の現状や未来について,自身の考えを披露した。ここでは,その内容をお伝えしていく。 イベントは基本的に斎藤氏が話し手となり,ブーツ アグ,川上氏がそれに答える形で進行。まずは,「ニコニコ動画とは何か」というトピックで口火が切られた。 川上氏は,YahooやGoogleといった大手企業が凌ぎを削るインターネットビジネスにおいて,「進化の本流で勝負してもドワンゴは勝てないので,わけの分からないものを作ろう」という狙いの元で作ったのがニコニコ動画だと話す。 もともとニコニコ動画は,「動画とSNSを携帯電話で出来ないか」という思想がスタートであり,携帯電話の動画サービスを作るために,まずPCの動画サイトを作らなければならなかったのだという。 一方でPCの動画サービスは,YouTubeが先行して大きなシェアを獲得をしていたため,ニコニコ動画ならではの魅力的なコンテンツを提供しなければならない。それこそが“わけの分からないもの”だったのだろう。 こうして,ニコニコ生放送などのコンテンツ群が誕生,その狙いは見事に当たり,ニコニコ動画は大成功を収めたのだ。 また川上氏は,「ニコファーレの始まり」についても語った。ニコファーレは「ネット専用ライブハウスを作ろう」という発想から始まっており,とにかく派手なことをやろうというテーマがあったという。ニコファーレの特徴とも言える「全面LED」は,本来ならばネットとは関係ないのだが,最初のうちはそれくらいしかアイデアがなかったため,そのまま採用になったという。 インターネットでエンターテイメントは変わったか? 続いて,齋藤氏は「インターネットでエンターテイメントは変わったか?」という話題を振る,ブーツ。川上氏は,「インターネットが与えた影響は大きいが,それで何が変わったかはまだ分からない」とコメント
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